読んだ本


本を読んで、母のパーソナリティ障害について考えてみました。

以下の3冊を読みました。


  1. 『困った性格の人との付き合いかた パーソナリティ障害を理解して自分を守る』 小羽俊士(こば としお)
  2. 『パーソナリティ障害とは何か』 牛島定信(うしじま さだのぶ)
  3. 『パーソナリティ障害 いかに接し、どう克服するか』 岡田尊司(おかだ たけし)

上記の順番で読みました。







小羽俊士著『困った性格の人との付き合いかた パーソナリティ障害を理解して自分を守る』を読んで


小羽俊士著『困った性格の人との付き合いかた パーソナリティ障害を理解して自分を守る』は、最初に読んで良かったと思った本です。

「はじめに」を読むだけで、心が救われる思いでした。


 もともと内心に不安が強かったり、コンプレックスを抱えている人というのは、それを過剰防衛するあまり、自分に対する向き合いかたも、他人に対する向き合いかたも、かなり歪んだものになってしまいがちです。
 そのような人たちと関わりを持つことになると、私たちはその「歪んだ向き合いかた」に必然的につき合わされることになります。その結果として、その人と関わっていると、なぜかイライラしてきたり、自分の劣等感を刺激されたり、惨めで悔しい思いをさせられたり、混乱させられて無力感を味わうことになったり、強烈な怒りを感じたり、とにかく理不尽なほどのネガティブな感情で私たちの気持ちは消耗させられることになりがちです。

[略]

 同様に、私たちも好きこのんで「困った性格の人」のことを「困った人だ」「つき合いづらい」「一緒にいたくない」と感じるのではないでしょうし、何も好きこのんで相手にネガティブな感情を向けてしまうのではないでしょう。お互いにもっと平和にうまくやっていきたいに決まっているのです。
 しかしこれこそが「困った性格の人が困った性格である由縁」ですが、こうしたネガティブな感情の相互作用は確実に生じてきます。しかも悪循環的にエスカレートしていくことがほとんどです。
 「困った性格の人」は、内心にある不安やコンプレックスを過剰防衛するがあまりに「困った性格」になっているのですが、この過剰防衛が私たちに「怒りや憎しみ」「イライラ」「惨めさや悔しさ」「混乱や無力感」などのネガティブな感情を駆り立てると、今度はこの私たちのネガティブな感情反応がさらに相手の心の奥深くにある不安やコンプレックスを刺激してしまい、ますます過剰防衛反応をしてくるようになる…、という悪循環の相互作用を引き起こすのです。


 ―「はじめに」より―
 

腹が立ったり混乱したり無力感を味わったり、理不尽なほどのネガティブな感情を抱くものなんだ、そういうものなんだ、私だけじゃないんだ、と思うと、気持ちが楽になりました。

特に、「理不尽なほどのネガティブな感情」という部分は、「まさにそう!」と心の中で叫びました。

こんなにもぴたりと当てはまることが書いてあるなんて。

この本は、私のような悩みを抱えている人が読むと、心が軽くなるかもしれません。

今回読んだ本の中で、最もやさしく(易しく、優しく)書かれている本でした。





パーソナリティ自己診断シート


岡田尊司著『パーソナリティ障害 いかに接し、どう克服するか』の巻末には、「パーソナリティ自己診断シート」が付録として収録されています。

これを、自分と母の診断をしてみました(母の分も私が答えました)。

 ○の数が判定の基準以上であれば、診断基準に当てはまる可能性があります。ただし、あくまで目安です。



私自身の結果


私は、一つ、判定基準を超えました。

それは、妄想性パーソナリティ障害の項目でした。

もう一つ際どかったのが、強迫性パーソナリティ障害でした。


妄想性パーソナリティ障害の章を読んでみたのですが、自分に当てはまるとは思えませんでした。

そういうものなのでしょうか…?

秘密主義であるという部分は、昔から母がそのように私を育てていたので(例えば、「家族のことを他人にしゃべるな」と言うなど)、刷り込まれているのかもしれません。


強迫性パーソナリティ障害に関しては、自分のこだわりや基準を周囲にも押し付けたりする、という部分を読むと、そうかもしれないと思いますが、「絶えず何かしていないといられず、のんびりリラックスすることが苦手である。何事も、楽しむということができない。」というのは違うなぁと思います。



他の項目は、○の数が1か0でした。


自分では、自己愛性パーソナリティ障害の傾向が強いのではないかと思っていたので、結果は意外でした。

ただ、10代の頃は自己愛性パーソナリティ障害の傾向が強かったと思います。

10代の頃にこの質問に答えていたら、自己愛性パーソナリティ障害の基準以上の数の○が付いていたと思います。

それが、20代で10年かけて、かなり改善したのではないかと思います。


これはあくまで目安ということですが。




母の結果


母は私から見ると、あれもこれも当てはまるような気がしてしまい、次々と判定基準を超える結果となりました。


判定基準を最も超えていたのは、自己愛性パーソナリティ障害の項目でした。

次が、失調型パーソナリティ障害妄想性パーソナリティ障害

その次が、強迫性パーソナリティ障害演技性パーソナリティ障害境界性パーソナリティ障害

ここまでが、基準以上となります。


反社会性パーソナリティ障害や依存性パーソナリティ障害は、0か1でした。


境界性パーソナリティ障害については、「あの頃がそうだったのかな」、という感想です。

今現在は、以前と比べると境界性パーソナリティ障害の傾向は、かなり後退していると思います。

頑張って乗り越えたのかなと思います。



本文を読むと、色々と母に当てはまると思うことが書いてあったのですが、本文を読んでも、自己愛性パーソナリティ障害が最も当てはまると感じました。


失調型パーソナリティ障害は、当てはまる部分もありますが、当てはまらない部分もあります。

失調型パーソナリティ障害の人は、服装に無頓着ということですが、母は服装やファッションには興味関心がありますし、「高いものを着る」ことがステイタスだと思っているところがあります。

「あの服高かったの」「○十年前に、○万円もしたのよ」が口癖です。


妄想性パーソナリティ障害については、当てはまる部分が多いと思います。


強迫性パーソナリティ障害についても、当てはまる部分が多いと思います。


演技性パーソナリティ障害については、母は過度に取り繕うことがよくありますが、それが嘘になることもありますし、でも、嘘にならないように本人は話しているようにも思います。

「嘘をつかない」というポリシーがあるようなので。相手を積極的に騙して利得を得ようとする嘘ではないですし、他人を傷つけようとする嘘でもなく、自分をよく見せようとする嘘、という感じでしょうか。





自己愛性パーソナリティ障害代理症



牛島定信著『パーソナリティ障害とは何か』にドキッとするようなことが書いてありました。

自己愛性パーソナリティ障害代理症
 自己愛性パーソナリティ障害を考えるうえで注目したいのは、自己愛的な人の周辺で精神科患者が生産されることである。


これは、分かる気がします。

私が、かなり疲れているからです。


母の気分に合わせて、私の気分も上下します。

母が大声を出せば、私も大声を出します。

私は、大声を出したくて出している訳ではないので、大声を出した後は自己嫌悪に陥ります。とても疲れます。


出かける際に「行ってきます」と言うと、「気楽なものね」と嫌な言い方で返されることがありました。

「水を差す」とはこのこと。気分がかなり落ち込みます。


口だけで実行しない母の言動にイライラしますし、母の暴言によってとても嫌な気分になったり、腹が立って眠れないこともあります。


このように、怒ったり、怒ったことについて自己嫌悪に陥ったり、気分が落ち込んだり、イライラしたり、嫌な気分になったり、腹が立って眠れなくなったりと、母の感情の起伏に影響されて自分が不安定になっていくのを感じます。

これがもし、自分の血縁ではなく、姻族(特に舅、姑)がこういうタイプの人間で、不幸にも同居している場合、自分の親ほどには言い返すこともできず壊れてしまうかもしれません。





本を読んでから気を付けていること


自分は自分、相手は相手、という境界線を引かなければならないと意識しています。
母の方へ引きずり込まれないように「母は母。放っておけばいい」と思うようにしています。


自分がなすべきことをすればいい。
必要以上に熱くならない。
無理なことを言われても、できないことはできないと冷静な態度で言えばいい。
嫌味や文句を言われて腹が立ったときは、まずは無視する。
無視は逆効果だと書いてあったけれど、ひとまず、自分が大声を出さずに済む。

――このように考えています。





本を読んだ上で出した結論


本を読んでも、母は自己愛性パーソナリティ障害の可能性が高いのではないかという疑いは強く残りました。

むしろ、確信してもいいのではないかと思うので、私が勝手に母が自己愛性パーソナリティ障害であると判断してこのブログを書こうと思います。





「パーソナリティ障害」という用語についての注意点


このブログで「○○パーソナリティ障害」と書いていても、それは私が勝手に書いていることなので、ご注意ください。

本来は、医師が診断するから「○○パーソナリティ障害」という診断名となるのであって、医師が診察していないのに(診断できない人間が)「○○パーソナリティ障害」という診断名を使うのは正確ではありません(と、本に書いてありました)。ご注意ください。





さいごに


パーソナリティ障害というのは、複雑に入り組んだ人の心の中の現象を分析・分類しようとして生まれた言葉で、明確な区別ができるものではないのだなと思いました。


人の心は、複雑です。そう簡単にいくものではないですよね。

自分の心ですら簡単に整理して落ち着かせられないのですから、他人の心となると、なおさらです。

当たり前のことなのですが、改めて、そのことに気付きました。

それを再認識できただけでも、気持ちが楽になったかもしれません。



大人になるともう性格は変わらないということはなくて、自分と向き合おうという気持ちがあって、ありのままの今の自分というものを受け入れることができれば、変わっていけるのだと、本を読んで知りました。

できれば母に変わってほしいと思うのですが、それは私が変えようとして変わるものではなく、母自身が変わろうとしなければ変わらないのでしょう。



母が自己嫌悪に陥っているのだろうと分かることもあります。母が混乱しているのも分かります。冷静にはなれない人なのだろうと思います。

母が自分と向き合えるように、私が冷静で穏やかな態度で手助けができれば一番良いのでしょうが、私から言わせれば母は「めちゃくちゃな人」「矛盾だらけの人」なので、私まで混乱してしまい、「冷静」だとか「穏やか」とは程遠い状態になってしまいます。

冷静に、冷静に。




私は母の全てが嫌いなわけではありません。

子供は、親に対して、いい親であってほしいという期待を持っているものだと思います。

そう思う部分があるからこそ、母の態度が他人よりも堪えることがあるのではないかと思っています。





これから、その「めちゃくちゃな人」ぶり、「矛盾だらけの人」ぶりをブログに書いていこうと思います。よろしくお願い致します。