母は、同じ話を何十回、何百回と繰り返します。

それは、過去の出来事の話をする時だけではなく、子供に対する注意もです。

注意の話は次回以降にして、過去の出来事を繰り返し話すということについて書きます。







2~3年前の出来事であれば、何十回で済みますが、私が子供の頃から聞かされている話になると、千回を超えているのではないかと思うくらい、同じ話を繰り返しします。



話の内容は、母にとって良い話も多いですが、悪い話についてもよく話します。



良い話は、子供の頃に勉強や運動がよくできたこと、自動車の免許を取得する時の試験で点数が良かったことを誉められたこと、私のあの服は高い、あの家具は高い、あの調度品はなかなか手に入らない、などです。



悪い話は、屈辱的だと感じた出来事などです。


子どもの頃の話なのに、大人というか高齢者になった今でも「とんでもない人間だったわ。絶対に許さない。」と言います。
しかも、かなり気持ちを込めて。


子どもの頃なんて、みんなやりたい放題でしたし、自分だってその後大人になったのと同じように、皆、大人になって子供の頃とは変わっていきますよね。

私には、母が大人になっても、全く成長しない思い出の中の人物に対して「とんでもない人間だ」なんて言ってることが滑稽に見えて仕方ありません。

これが、大人になってもとんでもない人間のままであるのならまだしも、母は、友人との交流がありませんから、大人になったその人をほとんど知らないはずです。


母は、思い出の中の人物に恨みを抱き続けているのです。

しかも、それを何度も子供に話すのです。

私だったらそういうことは絶対にしないと言えるので、ちょっと母が怖いです。

いじめられたり、嫌がらせをされた方はいつまでも覚えているのは、よく分かります。

私も、嫌な思い出がある人は、今でも苦手です。

ですが、何十回と繰り返し繰り返し話すという行為が怖いです。


母は、大人になれていない(精神的に成長していない)のでしょうか。





母にとって良い話でも、聞いている方にとっては楽しい話ではない(何度も聞いた自慢話なのでうんざりする)ので、繰り返し話されると、食卓などで空気が悪くなります。

同じ話を繰り返すことで何度も何度も空気を悪くしているのです。

どうして、純粋に笑える話を繰り返さないのか不思議になります。

単純に笑えるエピソードを持っていないわけではないのです。

ですが、そういう話はあまり繰り返されません。



「もっと楽しい話をしようよ」と言うのですが、今のところ、変化はありません。