はじめに


発達障害(の傾向)の疑いから確信へ


以前、母は発達障害ではないか(その傾向があるのではないか)と考えているというブログ記事を書いたことがあります。
そのとき読んだ本に、発達障害の診断をする際には「他の病気では説明できない」ことが条件になっていると書かれていたので、一旦は母が発達障害であるという結論を出すことを避けました。

しかし、「『毒親』の正体」を読んで、母は発達障害—自閉症スペクトラム障害(ASD)または注意欠如・多動性障害(ADHD)(少なくとも「非定型発達」)なのだろうと考えるようになりました。
とにかく、当てはまることばかりだったのです。




購入の経緯


本の帯(表)に、「あなたのため なんて大ウソ!」と大きく書いてあるのを見て、「ほんと、そうだよね」と思いました。
本をひっくり返して帯の裏を見て、「『親のせいにするのか』という批判」、「『子どもだから』が分からない」、「『話し合ったのに、またやられた』」、「『あなたがちゃんとしないと、お母さんがいじめられる』」、と書かれている部分に特に共感して、購入するに至りました。






「毒親」に多い発達障害


著者が臨床的に診てきた「毒親」で最も数が多いのが、発達障害の人たちだそうです。

著者が臨床の現場で出会った自閉症スペクトラム障害(ASD)の親と注意欠如・多動性障害(ADHD)の親の特徴について説明してあるのですが、これが、私の母に当てはまることばかりでした。

育児は一生懸命だけど、「心の理論」がないせいで相手の思いが読めない。そのため、子どもに一生の傷になるような人格否定的発言を悪気なくしてしまう…。
そんな「『心の理論』の欠如」の説明に、頷くことが多かったです。


心の理論」は大きなキーワードだと思うので、その説明を引用すると…
「心の理論」とは、この状況では相手はこんなふうに思っているはずだ、とか、こんなふうに言ったら相手はこう思うだろう、というような、常識的な「読み」です。
 ASDの人には「心の理論」がもともとインストールされておらず、一度体験して「パターン認識」することで蓄積していくしかなく、応用は効かないのです。



この他、ASDの説明の部分は、頷くばかりです。「これはちょっと違うかなぁ…」ということがありません。
以下、この本に書いてあるASDの特徴で母に当てはまることを、ほぼ引用する形で列挙します。


●子どもに何かを強いることがその子の心を傷つけるかもしれない、というような発想を持つことができない。

●ある側面だけを切り取って、他のことには目が向かない。

●「ある側面だけを鋭く切り取る」ということと、突然のコメントに対して「とりあえず反論する」というような特徴から、「前に言っていたことと違う」ふるまいをすることも案外多い。

●本来の性質としては、習慣に縛られるくらいに規則的なのだけれど、現実の行動面では不規則に見えることもしばしば。

●時間や生活習慣へのこだわりの強さゆえに「自分というものをしっかり持っている」というふうに見えがちだが、実際には「確固たる自我」というものは持っていない。

●ASDの人には生活習慣上のことや政治的なことなどに、妙なとらわれがある場合が多い。

●同時に、衝撃を受けやすいため、衝撃的な情報、特に危険情報のようなものに触れると、それが烙印のように心に刻まれて、「常に警戒すべきもの」となりがち。

●最初の情報が「烙印」のようになっているため、なかなか別の情報で修正することができない。

●「ものを捨てることができない」。
●「寿命まで使い切らないとモノに対して申し訳ない」という頑ななとらわれをもっている。
●明らかに使わないと思われるものであっても、単に「もったいないから捨てられない」。


●「子どもなのだから仕方がない」という発想ができない。
●子どものことを「サイズの小さな大人」と見る。


これらは、ぴったり当てはまりますし、読んで納得できます。


そして、

「親はちょっとしたことで自分を全否定する」と感じている人の中には、発達障害の親を持つ人が案外少なくないと思います。

…ということなのですが、私の母は、ちょっとしたことで人を全否定します。


他にも、まさに私がブログで書いているようなことが書いてある箇所もありました。


当てはまることや共感した部分を引用したいのですが、それでは引用箇所がとても多くなってしまうので、やめておきます(これでもかなり引用してしまいました)。






「毒親」の子がこれから経るプロセス


発達障害以外の「毒親」についての説明もあります。
それぞれの「毒親」の説明のあと、「毒親」の子どもがどう対処していくのがよいかについて書かれています。子ども自身の感情の処理の仕方から親との関係の処理の仕方へとステップが踏まれています。

「正体」が分かったら、自分自身の対処方法、毒親の対処方法を知り、受け入れ、実践していく。その過程を踏むことができます。

私はまだ「怒り」「混乱」の段階のようです。
でも、この本で優しく説得され、改善のプロセスを踏んでいくことができそうな気がしています。






母の発達障害の以外の特徴について


私は、「母が双極性障害(「躁うつ病」)ではないか」との疑いも持っています。
昔、母は病院でうつ病と診断されたことはありますが、双極性障害と診断されたことはありません。しかし、かつての言動を振り返ってみると、双極性障害(少なくとも双極Ⅱ型障害)だったのではないかと考えています。

さらに、ブログで書いているように、自己愛性パーソナリティ障害の特徴にぴったり当てはまる言動も見られます。

母は、自閉症スペクトラム障害または注意欠如・多動性障害またはASD・ADHD混合型(または「非定型発達」)&双極性障害(またはうつ病)&自己愛性パーソナリティ障害の混合状態なのではないかと疑っています。

何でもかんでも病名を付けるなと言われるかもしれませんが、そう思っていまうエピソードをブログで少しずつでも書いていって、読んでいただいて、少しでもご理解いただければと思います。
まだ整理できていませんが、少しずつ、個別のエピソードが何の病気・障害の特徴に当てはまる特徴なのかを整理したいと思います。






母への不理解から理解、あきらめへ


発達障害の特徴を有し、自己愛性パーソナリティ障害の特徴を有し、双極性障害の特徴を有する母ですが、子どもを愛していないことはないと思います。子どもがピンチのときには必死になります(ただ、ちぐはぐで空回りしますが…)。

「子どもがかわいくないわけじゃないようだけど、だったらなんで…?」と思っていたことが、先天性の脳の機能障害である可能性が出てきたことで、少しずつ納得ができてきたかもしれません。

「母自身がなんとかできる状態ではない」「母のせいではない」という理解が必要なのだと思います。そして、「母は変わらない(母を変えることはできない)」「母に自分の気持ちを理解してもらうことはできない」という諦めも必要なのだと思います。

母は、高齢の域に入っています。元気に動けるのもあと5年程度かもしれません。上手くいけば10年、というところです。母が生きている間に、私が私自身の気持ちを整理できれば上出来だと思います。それによって母への態度が変われば、言うことはありません。






逃げ場だった父


ちなみに、母親は「毒親」ですが、父親がまともな人だったので、父親が逃げ場になっていました。それは、本当にラッキーでありがたいことでした。
母の前婚のときの子どもは、上手く父に甘えることができていませんでした。そして、母は、その子ども(まだ小学生)に「あなたがしっかりしていないと、私がお父さんに笑われる(私が恥をかく)」と言っていたのです(私にも言っていましたが、私は父との距離が近かったので、無視できました(ピンときませんでした))。
これらのエピソードはまた別に書こうと思います。






最後に ここまで読んでくださった方へ


このブログに書いてある内容を見ていただいて、「あの人とそっくりだ」と思われた方は、発達障害について調べていただくと理解のきっかけになるかもしれません。

そして、親に振り回されてきたと感じている方は、この本を一読されてみてはと思います。受け入れがたいと感じる方もいるかもしれませんし、救われるような気持になる方もいるかもしれません。私は、後者でした。

私は、「自分がこんな風になったのは、こんな母親のせいだ」とは思っていません。父親や、祖父母だけでは今の私にはなっていないでしょうし、母がいなければ今の自分はない(母のおかげで今の自分がある)と思っています。
ただ、引っ掻き回したり、コントロールしようとしたり、支配しようとしたり、いつも不機嫌だったり、攻撃してきたりする母に迷惑しているのです。自分の感情が振り回されて怒りでいっぱいになって消耗するのが嫌なのです。

それをなんとかしたくて、ブログをはじめる前に調べ始めました。

しかし、検索窓に何を入れたらいいのかすら分からない状態でした。

その点、この本は、「毒親」という言葉をタイトルに使用しているので、手に取る方が多くなって、解決の糸口をつかめる方が増えるかもしれないのは良いと思います。



「親を悪く言うものじゃない」「育ててくれた親でしょう」「お母さんに感謝しないといけないよ」……と言われ続けてきた方々にとっては、「悪く言いたくて言っているわけではないんだ」「子どもを理解できない(傷つける)親もいるんだ」ということを分かってくれる人がいるだけでも気持ちが軽くなりますよね。
調べてみると、理解してくれる人がいるんだなと思いました。さらに、何冊かの本を読んで、気持ちが楽になってきました。