子どもの頃の記憶の中の母は、よく怒っていました。

私は親戚や知人に「お母さんこわい」とよく言っていました。



母の怒り方は、怒るときに使う言葉がひどい(きつい)のが特徴です。

すぐに思いつく例としては、「ここにまだあるじゃない。見えるでしょう。「めくら」なの?」といった言葉です。

昔の人に育てられて、母自身もかなり古い年代の人ですが、差別用語などを平気で子どもに言う気持ちが理解できません。

子ども(幼稚園や小学生)の頃ですら、そういった言葉を聞いて、色々な気持ちが沸き起こって、胸が痛みました。
「そんな言葉を聞きたくない」「そんな言葉を自分の母親が言っているのを見たくない、聞きたくない」「その言葉を自分に向けて使われたことがつらい」という気持ちです。



母と一緒にいると、「たったそれだけのことで、どうしてそこまで言われなければならないのか」ということが日常茶飯事です。
普通に生活していたら聞かないような「ひどい言葉」を聞かされて、気持ちを沈められます。

母は、子どもを傷つけてしまっていることに気づいていません。
必要以上に傷つく言葉を使っていることに気づいていないような節もあります。「叱っているんだから当たり前」とでもいうような態度と言えばいいのか、なんとも思っていないような風なのです。

怒りの沸点が低い(又は、上昇スピードが速すぎる)ので、すぐに怒りで我を忘れて言ってしまっているのかもしれません。



子どもの頃は、「ずっと優しいときのお母さんでいてほしい」と願っていました。機嫌の悪いお母さんって嫌ですよね。母が機嫌がよくて笑っていると、嬉しかったです。
「ずっと優しいお母さん」でいることは難しいとは思いますが、それでも、自分の子どもに対して必要ない言葉を浴びせて傷つけることを繰り返す親は「毒親」だと思います。

今は、「母は母、私は私」「運悪く、自分の母親はひどい言葉を使う人だった」と思ってあまり気持ちを沈めないようにしています。